「ギフト ぼくの場合」。2021年の中学入試でサレジオ学院・慶應湘南藤沢で出題された作品ということで読んだ。国語の先生が入試で出題された本の中からこの本は読んでほしいというものを選んだスペースで紹介されていた本だった。
家族でスペースをお酒をのみながら紹介されていたものを全部注文して届いた最初の本なので、この本がどう紹介されていたかは覚えていないけれど、慶應湘南藤沢のようなただの学力以上の豊かな生活までも問われる学校でこういった本が取り上げられていることに皮肉を感じるというようなコメントを聞いた記憶がかすかにのこっているので、おそらくこれがその本なのだと思う。
「ギフト ぼくの場合」あらすじ
主人公の「僕」は小学6年生の男の子。外に女性を作って父が家を出て、母と妹と困窮した生活を送るなか、妹は医療事故か、対応の遅れか、医療費の問題かで死んでしまう。
妹の死をうけとめきれず毎日を送る「僕」は学校の音楽会で父が教えてくれたギターの腕をかわれて代役を務めることに…。というメインのストーリーの中に、小学6年生の男の子が自分ではどうしようもない環境の変化の中で自分が好きなものを見出していくエピソードがいくつも現れて、ページをめくる手を止められずに一気に読んだ。
キーワードは「貧しさ」
読む人によっていろいろな読み軸がある本だけれど、「貧しさ」はやはり大きなキーワードだと思う。
一瞬の「貧しさ」ではなくて、「貧しさ」という空間と時間を生きること。自分の問題=「貧しさ」と付き合うこと。
そして、「貧しさ」からの脱却は、誰かに救ってもらうのではなくて、自分の中に何かを見つけて生き抜いたり抜け出すことから始まるという覚悟をつきつけられ、登場人物それぞれがそれを受け止めながら生きるのを一緒に苦しみながら読み進める感覚があった。
自分の「貧しさ」と向き合うことが生きること
「貧しさ」は、主人公にとっては家庭の経済的な困窮。豊かな家庭に育つ同級生にとっては素直になれない心。有名な作曲家のジョー先生にとっては芸術を解さない社会。
みんな何らかの「貧しさ」と向き合い、折り合い、乗り越えながら生きている。
子どもも、大人もないという気がした。
私の「貧しさ」は、子どもと自分を切り離して子どもの幸せだけを願えない、心配しすぎモンスターのようになっている子どもを信頼して突き放せずに中途半端におせっかいになってしまう心の貧しさ。
小学生でも十分読めるけれど、大人が読んでも自分と向き合わされる本だった。
読んだ最後に「ギフト ぼくの場合」というタイトルをもう一度考えたくなる。「ギフト」は誰もが受け取っているから「ぼくの場合」とついているのかな? など子どもと話すポイントもたくさんある本だった。
ちなみに、こちらがアマゾンの作品紹介。自分で感じたこととまったく違って驚く。
アマゾンの紹介ページのあらすじ
少年が自分の将来の夢を見つける物語
お父さんの影響で、外山くんは、ギターが上手だった。しかし、大好きなお父さんとお母さんは、離婚することに。裏切られた気持ちで、それ以来外山くんは、ギターに触れることはなかった。そんな外山くんの楽しみは、ギターではなく、リコーダーだ。秋の演奏会に向けて一生懸命練習していた。そんなある日、ギターの名手だったバンドの子が、腕に怪我をして、ギターを弾けなくなってしまう。その代役として、外山くんがギターを弾くことになる。
バンド練習の中で彼が、つかんだものとは?
ギフト 僕の場合(アマゾン)