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子どもたちが楽しく学べる歴史漫画。そんな歴史漫画の中でAmazon売れ筋ランキング Kindle本・学習まんが部門(2018年6月)を受賞しているのが『学研まんが NEW日本の伝記 織田信長』です。

ちなみに2位には『学研まんが NEW日本の伝記 豊臣秀吉』が、3位には『学研まんが NEW日本の伝記 徳川家康』がランクイン! 子どもたちの中で戦国時代の人物たちの人気がうかがえます。

またこの3冊ともAmazonの読み放題サービス「キンドル・アンリミテッド」では無料で読むことができます。読み放題サービス「Amazonキンドル・アンリミテッド」

レビューも「面白い!」「かっこいい!」「子どもが夢中になる!」というものが並び、魅力的な漫画キャラクターとストーリー展開のおもしろさが光る本です。

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学研まんが NEW日本の伝記 織田信長』を持って、歴史探検に出かけよう!

そんな『学研まんが NEW日本の伝記 織田信長』を手に入れたらオススメしたいのが、漫画で取り上げられているスポットへ実際にお出かけしてみること!

学研まんが NEW日本の伝記 織田信長』目次
  • 一、尾張のうつけ殿(戦国時代に生まれた織田信長は、その行動から、まわりの人々に「うつけ」と呼ばれた)
  • 二、信長、織田家をつぐ(父・信秀の死により織田家をついだ信長は、尾張国を背負う武将となった)
  • 三、桶狭間の戦い(今川義元の軍を桶狭間の戦いで破り、信長の名は全国ににとどろいた)
  • 四、天下布武の幕開け(信長は天下を統一するために、ほかの戦国大名と次々に戦った…そして、ついに…。)
  • 五、天下布武の終幕(家臣の明智光秀の謀反にあい、京都の本能寺で信長は自害した)
ママ

実際に出かけてみることで、地理的状況歴史の人物像に子どもたちが自然と興味を持つチャンスにもなります。

織田信長関連スポットを地図でチェック

学研まんが NEW日本の伝記 織田信長』の舞台になったスポットをまずは地図でチェックしてみましょう。

ママ

織田信長関連のスポットは名古屋に集中しています。

勢力を拡大するにつれて京都方面へ関連スポットが移動していきます。

那古野城(なごやじょう)/織田信長出生地・徳川家康と出会い濃姫と最初に暮らした城

那古野(なごや)城は、現在の名古屋城のある場所にあった城で、織田信長の父・織田信秀が今川氏から奪い信長に与えました。織田信長生誕の地ともいわれる場所(諸説あり)です。

織田信長は幼少期をこの那古野城で過ごします。

『学研まんが NEW日本の伝記 織田信長』の冒頭部分、美少年でうつけ者、魅力たっぷりの織田信長が子分と引き連れて遊びまわったり、日本に伝来したばかりの鉄砲「種子島」に出会った時期にはこの那古野城に住んでいたと考えられています。

そんな「那古野城」の名残は、金のシャチホコでも知られる「名古屋城」にはほとんどなく、名古屋城の公式HPにも、那古野城のことはほとんどふれられていません。

というのも、現在残る「名古屋城」は「那古野城」の廃城跡に、豊臣秀吉が築城したものです。

かつてここに「那古野城」があったことを示しているのは、わずかにの二の丸庭園の前の石碑のみです。

ママ

信長時代の「那古野城」は今の「名古屋城」のような天守をもつ城ではなく、平城であったと考えられています。

■名古屋城:名古屋市中区本丸1-1

万松寺(萬松寺)/織田家の人質となった徳川家康(松平竹千代)が人質となった寺・信長の父織田信秀の葬儀が行われた寺

万松寺(萬松寺)は、織田信長の父・織田信秀が織田家の菩提寺として創建した寺です。

当時弱小国であった三河国の徳川家康(松平竹千代)が駿河・遠江を支配する今川家に人質として送られる途中に義理の祖父・戸田康光にだまされ織田家に人質として引き渡され過ごしていました。

このときに徳川家康が暮らしていたのが織田信長の暮らす「那古野城」からも近い「萬松寺」です。

『学研まんが NEW日本の伝記 織田信長』では、信長と家康がお互いに不遇なこの時期に出会い、信長が家康に「人間の将来は、他人ではなく自分が決めるのだ」と語ったエピソードが収録されています。

また、織田信長の父・信秀の葬儀が行われたことでも知られ、葬儀に茶筅まきの髪に腰には荒縄の帯、長束の太刀と脇差と、葬儀にふさわしくない姿で現れ、父・信秀の位牌に焼香の灰を投げつけるという有名なシーンも有名です。

『学研まんが NEW日本の伝記 織田信長』でもこの場面が生き生きと描写されています。

ママ

万松寺の中には「抹香投げつけ」再現したからくり人形も設置されています。

■萬松寺:名古屋市中区大須3-29-12

正徳寺(聖徳寺)跡/織田信長と斉藤道三の出会いの場

正徳寺は、織田信長の妻であった濃姫の父であり美濃の守護であった斉藤道三と織田信長が初めて対面した場所です。

うつけと言われていた織田信長がどれほどうつけ者なのかひと目観ようと隠れて見ていた斎藤道三を最新式の500丁もの種子島やきらびやかな隊列であっと言わせただけでなく、斉藤道三との対面の際には一転してスキのない正装で現れ、お互い一言も発しないまま最初で最後の対面が終了した有名なエピソードとして知られています。

『学研まんが NEW日本の伝記 織田信長』でもこのシーンは斉藤道三が娘婿に心酔する場面として印象的に描かれています。

ママ

現在の正徳寺(聖徳寺)とは信長時代は別の場所、富田林にあったとされ、現在は正徳寺(聖徳寺)跡の石碑が残されています。

清洲城址公園/織田信長と濃姫が過ごした城

「清州城」は「那古野」のあとに織田信長と濃姫が住んだ場所です。そんな清州城の跡地である清洲城址公園には、桶狭間の戦いへ向かう直前の信長の像とその横に濃姫の銅像も設置されてます。

毎年6月2日の織田信長の命日には「織田信長公顕彰祭」も行われています。

このころから豊臣秀吉(木下藤吉郎)や、前田利家(前田犬千代)も頭角を表しはじめ、信長に抜擢されるようになりました。

熱田神宮・信長塀/桶狭間の戦い直前に勝利祈願

熱田神宮は、三種の神器の一つ“草薙剣”(くさなぎのつるぎ)を祀る神社で、古来より朝廷、武将の崇敬を集めていました。そんな熱田神宮には「信長塀」と呼ばれる塀があります。

桶狭間の戦いに向かうため織田信長は早朝に熱田神宮で勝利祈願を行い、勝利をおさめます。

この勝利に感謝して織田信長が寄進した築地塀が「信長塀」です。

土と石灰を油で練り固め、瓦を積み重ねて、上部を桟瓦で葺いた優雅で重厚な築地塀が織田信長らしい豪胆な雰囲気を伝えています。

■熱田神宮:名古屋市熱田区神宮1丁目1番1号

桶狭間古戦場公園・今川義元の墓/織田信長と今川義元の戦いの場

美濃の斎藤道三の死後、後ろ盾をうしなった織田信長。

そんな織田信長に、1560年今川義元が約25,000の兵を率いて襲いかかり桶狭間でぶつかります。

この戦いでは幼い頃共に過ごした徳川家康(松平元康)も今川勢として参加していました。

桶狭間の戦いでは、圧倒的に有利であったはずの今川義元が雨で油断しているスキに織田信長は雨音にまぎれて奇襲し勝利。

ここから天下統一を目指す織田信長の快進撃がはじまります。

桶狭間古戦場公園には織田信長と今川義元の銅像があるだけでなく、今川義元の墓も見ることができます。

また、「義元首洗いの泉」は「義元水汲みの泉」とも呼ばれるスポットもあります。

ここでは泉の中にくるくる回る桶があり、「桶廻る狭間」が「桶廻間」、そして「桶狭間」と変化して定着したと言われています。

■桶狭間古戦場公園:名古屋市緑区桶狭間北3丁目

墨俣城/豊臣秀吉が織田信長の命で作ったとされる一夜城

美濃攻めにとりかかった織田信長にとって目の上のたんこぶのような存在だったのが斉藤氏の本拠地・難攻不落の名城「稲葉山城」です。

織田信長は、稲葉山城攻略のために豊臣秀吉(木下藤吉郎)に命じて尾張と美濃の国境の前線基地「墨俣」に一夜で砦を築かせました。

「墨俣城」は砦でしたが、現在ではその場所に当時とは様相が異なる城郭天守の体裁の城型の資料館が作られています。

■墨俣城:大垣市墨俣町墨俣1742-1

 

岐阜城(稲葉山城)/楽市楽座の開始

墨俣城攻略により一気に稲葉山城を落とした織田信長は、稲葉山城を改装して岐阜城を築城します。

岐阜城は日本の100名城としても知られ、もとは斎藤道三の城でもありました。

ちょうどこの頃、織田信長は関所や権力者によって特権を与えられた「座」を廃止し人や物を自由に行き来させる「楽市楽座」の政策を開始しました。

天守に登れば、長良川や岐阜市街が見渡すことができます。

ママ

近くに「稲葉城」がありますが、「稲葉山城」と「稲葉城」は別のものです。

 

■岐阜城:岐阜県岐阜市18

姉川古戦場/織田信長VS浅井長政

「天下布武」をかかげる織田信長は戦闘による勢力拡大だけでなく、妹のお市の方を近江の浅井長政と結婚させるなどの戦略も駆使しました。

しかし、近江の戦いで朝倉市に借りがあった浅井長政は、織田信長を裏切り浅井長政・朝倉景健軍と、織田信長・徳川家康の連合軍は姉川をはさんで向き合い、死闘を繰り広げることになります。

■姉川古戦場:長浜市野村町
■姉川の戦い徳川家康陣跡:滋賀県長浜市東上坂町

比叡山延暦寺/織田信長による焼き討ち

敗走する浅井・朝倉氏は比叡山延暦寺を頼り織田信長と対抗しますが織田信長は延暦寺を焼き討ちにするという暴挙にでることになるのです。

これまで、比叡山が織田信長によってほぼ焼き払われたといわれてきましたが、火災の跡が確認できる地層はそれほど広くないとの発掘結果も出ています。

ママ

子どもにとって、歴史がどのように伝えられていくのか考える機会にもなりそうです。

 

■比叡山延暦寺:滋賀県大津市坂本本町4220

 

長篠の戦い/織田VS武田 鉄砲による新しい戦い

武田信玄の死後後をついだ武田勝頼と織田信長の戦いの地。

騎馬で勝る武田軍が押し寄せる中、織田軍は馬防柵で防ぎながら大量の鉄砲による一斉射撃を行い撃破したと言われています。

長篠城址史跡保存館には、各種の鉄砲なども保存されています。

■長篠城址史跡保存館:愛知県新城市長篠市場22番地1

安土城/信長の絢爛な城

織田信長は近江に新しく築いた安土城を新たな本拠地とします。

五層七重の天守をもつ織田信長らしい豪華な城。

現在の安土城址には石組みが残るばかりですが、滋賀県立安土城考古博物館には豪華な天守の五階六階部分が再現されています。

■滋賀県立安土城考古博物館:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6678

■安土城跡:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦

本能寺/信長の最後

毛利氏を打つために豊臣秀吉(羽柴秀吉)の援軍として向かう途中だった明智光秀が急遽軍をひきかえし、100名ほどの兵とともに本能寺に宿泊していた織田信長を討ちます。

『学研まんが NEW日本の伝記 織田信長』では、業火の中で「人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり、ひとたび生をえて、滅せぬもの、あるべきかー」と言いながら自害する織田信長の様子が描かれています。

■本能寺:京都府京都市中京区下本能寺前町 寺町通 御池下ル下本能寺前町522

歴史の学習や自由研究には「体験」が大事!

子どもたちにとって歴史の世界は、時代背景や慣習、日常生活のスタイルが全く違う別世界。
漫画を使って流れを把握しながら実際にたずねてみることで、共感や理解が深まります。

出かけた場所について自由研究でまとめるのもおすすめです。

城巡りで実体験を使える知識に!自由研究、中学受験の学習を深める!